新しい農業政策に乗り出し

「ユダヤ人の息子」の意。1922年から死去する1953年までソビエト連邦共産党の書記局長を務めた。ロシアでは総書記に当たる語で呼ばれる。党内での昇進を経て、ソ連の国家元首となってからは、レーニニズム(Leninism)の原理を基礎とした政治を樹立し、一国社会主義(Socialisminonecountry)を興し始めた。批評家は、スターリンの統治が独裁者特有のものであり、その政治形態をスターリニズムと呼ぶ。一方で、これらの非難は曲解や誇張であると否定する者もおり、現在でも未だに論争が続いている人物の1人である。ウラジーミル・レーニンの死後、レフ・トロツキーとの権力闘争に勝利したことでトロツキーを共産党から除名し、さらに国外追放した。党員名簿と経理を掌握することで実権を握り、のちの強大な権力の地盤を築いた。1921年に施行された新経済政策(ネップ)を、1928年に第一次五ヶ年計画に替えたことで、ソ連は急速な工業化と経済成長を見せた。しかしながら、スターリンはおよそ同時期の集団農場促進の取り組みや、一部が完全な失敗に終わった。
update:2009年08月23日